肉のリズム

21時くらいになると、脳の働きが落ちてきますね。

とくに、酒とかいうハードドラッグを吸引しているときは尚更ですが。

 

日常や仕事をしていても、21時以降は

科捜研の女」を観る以外は何もしたくないです。

 

すべての自分が経験した物事は記憶と結びついているのですが、

記憶は思い出せないものがほとんどで、ふとしたときにトリガーが

その正とも負ともいえないような何かがよび醒まされます。

 

それは心地の良い気持ちや、やすらかで楽しい感情を想起させてくれることもありますが、

それ以上に失った、今では手にしようのない、どうしようもないことだということの再認識にもつながり、

もはやBADな想い出を引き出されるよりも、かえってBADな気持ちになったりするものです。

 

過去の積み重ね、過去の経験により自分の今が、人間性や精神性や肉体が形成されているわけではありますが、

その過去とは何ら証左のないもので、今の自分が、安らかであったり、心地よかったりする記憶に縋っている姿は、

非常に滑稽で、軽蔑に値するものなのかもしれないです。

 

でも、過去の結果が今を作っているとするならば、

やはり何の証左も無く、曖昧な記憶のなかで、

それを紐解いていくしか、自分自身の今を知ることはできないわけです。

 

NUMBER GIRLは非常にいいですが、その中でも非常にいいのは、

「I dont know」という映画「害虫」に使われた曲です。

もちろん、他にもめっちゃいい曲があります。

 

なんだかノスタルジーな感じがする曲です。

 

目の前に立っている、優先席で席を譲る、インド人の親切な所作を見ながら、そう思いました。

なんだかかなしい

普段、いつもカナル型イヤホンをつけていると、

あんなに音楽を聴くために特化した形もすごいなあとおもいます。

 

でも、電車に乗ってて思うこととしたら、非常に聞き取りづら車内放送ではありますが、

カナル型イヤホンで耳を塞いでいると、どこの駅に停車してるかわからなくなることが

しばしばなような気がします。

 

そういった理由から普段、なかなかカナル型イヤホンを用いて音楽を聞くことも少なく

むしろ普段はイヤホンをつけて出歩くことも困難な環境ではありますけれども、

やはり少しばかり酩酊をしていると、音楽を聴きたくなってくるものだなあと思います。

 

普段、しらふのときは、少しばかりは周囲の音に耳を傾けなくては生き辛いということもあるのでしょう。

実際問題、イヤホンをしていると車内放送も聞き辛いので、音楽を聴きながら歩くというのは、そうそうありません。

 

酩酊をすると、カナル型イヤホンを装着したくなるのは、そういうしらふの時に考えているような、

周囲のことに耳を傾けるとかいう意識がなくなってしまうからなんでしょうと思います。

 

酒は憂いを払う玉箒とはよくいいますが、意識が払われてるだけで、

実際は憂いなんて残ったまんまだし、酔いが醒めたら地獄のような苦しみと、後悔に苛まれます。

 

初めて買った音楽のアルバムは、ザ・ブルーハーツのトリビュートアルバムで

ぜんぜんブルーハーツじゃないし、意味わかんないしなんだこれと思いました。

 

2番目に九州地方の地方都市のタワーレコードで買ったのが、bloodthirsty butchersのルークウォームウインドでした。

その翌年には廃盤になったんで、よくもまあ買ったもんだと感心です。

 

"なんだかかなしい"という曲は、ブッチャーズの中でも名曲ですが、ほんとうに名曲ですね。

間奏がほんとうになんか、なんだかかなしい感じがします。

 

帰ったら洗濯をしなくてはなりません。

なんて、なんとも、なんだかかなしいことかと思います。

おれの脳

酒っていうのは、いわゆるハードドラッグですね。

なぜかというと、脳の機能が麻痺します。

 

脳の機能が麻痺すると、何が悪いかっていうと、

普段抑制しているようなことや、普段、

全く考えたり、思い出したりすることのないようなことが、口をついてでてくることです。

 

でも、大きな人になれば、酒酔い運転な状態でも、普段仕事で思っていることや

人間関係や、くだらないことや、もろもろのことも、

単に愚痴をこぼしたり、溜飲を下げたりする場なのだと、事後処理ができるでしょう。

 

酒を飲んでいたから、という大義名分というか、水戸黄門の印籠というか、

いわゆるハードドラッグにやられていれば、その場や、その事後でも許されるんです。

というか、自分自身を赦してるんですね。

 

でも、この酒とかいうハードドラッグにやられて、なにが一番厳しいかというと、

家族や、親友や、友達や、同僚にも、話したことも触れられたこともないような、

自分の中のしまってた記憶や思い出を、想起してしまうきっかけになるということなんですよね。

 

音楽には、その時、その音楽を聴いていた場面に限らず、

生々しい気持ちや内面、情景を固定する機能があります。

 

僕はpixiesのDoolittleというアルバムを聴くと、

1曲目のdebaserから15曲目のgouge awayまで、

その当時の自分が置かれていたカスみたいな状況と、

それすらも直視しようとしない自分と、

その中でも何の違和感もありながらも楽しみを感じていた感覚と、

真夜中に万代に行っていた記憶が思い出されます。

 

救急車の音を聞きながら、あと10分の家までの道のりを、

どんな音楽で紛らわせばいいか考えています。

 

いまは、自分の乱れた呼吸しか聞こえません。

酒とかいうハードドラッグと、カナル型イヤホンとかいう産物の功罪ですね。

 

プールサイド

あつい夜だなぁって感じです。

部屋に干している洗濯物のせいで、余計に湿気を感じて蒸し暑い。

 

bloodthirsty butchersの『△』にどんな曲が入っていたっていうのを忘れていた。

結構聴いてたのにと思います。

 

暑い日こそ、『プールサイド』を聴きながら夜25時くらいに高いところで冷えたビールを飲むことが最高でしょう。

緑茶でもいいですね、冷えたやつ。

 

風は温いくらいでちょうどいいと思う。

水の中にいるみたいな感覚になりますね。